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くちびるにはなうた

2006年4月〜求人誌「週間FREE」誌上で連載中

毒も花もある日々のうた

これまでしてきた仕事や、今の仕事やくらしについて書いています

 

2007年 2月5日 

くちびるにはなうたーvol.41  「医療誌づくり−12‘異分野対談誌’」

26歳から29歳まで、医療についての冊子をつくる仕事をしていました。27歳から29歳までの2年間は、統合失調症という病気について、専門としている精神科医と異分野の研究者が対談する冊子をつくっていました。六号目では「統合失調症と遺伝」というテーマで、精神科の遺伝学研究者、吉川武男先生と精神科医の大野裕先生に対談していただきました。クリントン前大統領がヒトゲノム構造が完全に解読されたと発表したのは2000年のこと。それ以来、ゲノムに関して多くの情報が語られるようになって、まず誤解を解くことが大変だという話から始まりました。病気の遺伝には二種類あって、遺伝子が必ず病気を引き起こすものと、多因子による病気、環境、文化、などによる病気の一部に遺伝があるというものがあって、遺伝で病気を語るとすべて前者のように勘違いされるとのこと。とはいえ、遺伝や脳を知ることで何か見えないものを知る近道を得たような、人類が作ってきた地図の中で最も価値があると言われるものを、うまく扱うために、様々な事柄と照らし合わせていきたいと締めくくられました。この病気に関する異分野対談は、どの分野を探っていっても当たり前だけれど終わりがなく、今回の対談での「決定的な遺伝子はない」という結論のように、いつも答えがないのでした。答えのない旅はまだつづきます。

♪「はじめての気功」

左手から出てるって
誰からも出てるって
よーく見ると
しろく見える
せんせーはそう言いました

手当って言うように
触るだけで治るって
いたいところ
だるいところ
せんせーはそう言いました

2007年 2月14日 

くちびるにはなうたーvol.42  「医療誌づくり−12‘異分野対談誌’最終回」

26歳から29歳まで、医療についての冊子をつくる仕事をしていました。27歳から29歳までの2年間は、統合失調症という病気について、専門としている精神科医と異分野の研究者が対談する冊子をつくっていました。七号目は、精神科医で作家の加賀乙彦先生と、弁護士の光石忠敬先生、司会を現役の精神科医である越野好文先生にお願いした鼎談でした。統合失調症と倫理、司法をテーマにしていました。精神障害者が犯罪を犯す割合が高いという認識は正しいかどうか。犯罪を犯しやすいから偏見をもたれるのか。犯罪を犯しても無罪になるから偏見があるのか。といった内容を、国内外の研究結果を持ち合いながら話し合い、精神医学、法律面での問題点をしぼっていく、短い時間をとても有効に使った鼎談でした。無罪ではなく、何らかの処罰を受けるべき、というのは全員の意見でした。精神障害者への偏見をなくし、社会で共存するということが、大きな目標だからです。マスコミでの取り上げられ方がよくない、義務教育で精神医学に触れないのがまずい、と法律以外の面でも、世間の偏見を促す要因が次々にあげられました。この鼎談を最後に、私はこの仕事から離れる決心をしていました。2年間この対談誌に没頭してきて、自分がしたい仕事がどんなことなのか、少しずつ心に浮かび上がってきていたのです。つづく。

♪「食器づくり」

かたちをつくるのは苦手
ずっとそう思ってきたの
思っている絵と
書かれたかたちが
いつもぜんぜん違うから

目に見えるものっていいな
なんでか最近思うのです
そこにあるというだけで
見たり触れたり使ったり
生活をともにできるから

はじめてみようかたちづくり

 

2007年 2月18日 

くちびるにはなうたーvol.43  「脱サラ」

29歳で、2つめに勤めていた会社をやめました。3年間、医療誌づくりをしてきてたくさんの人に会い、それぞれの人が医学や医療の現場で役に立とうと奮闘している姿を見ていました。そうなのです。それまでの私は、社会に出ていながら、毎月お給料をもらいながらも、「こんなことをしている人がいるんだー、こうしてものがてきあがっていくんだー、」と主に感心をしながら「見ている」という状態だったと思います。本当に自分が何かの役に立っているわけではないという感じ、を感じていました。でももうそろそろ、自分がこの仕事をしているんだ、これを創っているんだ、という責任を持ちたいと思うようになってきました。それはやっぱり音楽で、そして人と触れ合う場所にいつもいることで。パソコンの画面ではなくて人の目を見られるところにいたい。人との間に音楽がいつもあるところにいたい。毎日会社で少しずつ「自分の仕事」のイメージは膨らんでいきました。夢、というには具体的すぎる何か。いつの間にやら、三十路間近の女の頭の中は「こんなことをしてみたい」でいっぱいになっていたのです。つづく。

♪「春雨」

なんて軽やかな水
細く細く降り続く
たしかにそうよね
つるるるるるんと
すすりたいような
軽やかさ

するるるるるんと
春はこぶ

2007年 2月25日 

くちびるにはなうたーvol.44  「脱サラ 2」

29歳で会社を辞めた2003年は、ファーストアルバムの「話のつづき」をリリースした年でした。そして、3年間、会社で医療誌を作ってきて興味をもった医療を、何とか自分なりに仕事にしたいと考え、音楽療法の勉強を始める決心をした年でした。これまで私が実際に出会った人物で、もっとも大きく影響を受けたのは、音楽家ではなく、医師で作家の日野原重明先生という方でした。指揮者になりたかったが医者になった、という先生は、音楽療法を長く日本に薦めている方でもあります。先生は毎日よいことをしたい、という気持ちで仕事をして、年を取っても信念を持ち続ける生活をしていらっしゃいました。数年間、日野原先生が主催される栄養学の研究会を手伝わせていただき、年に何度かお会いしても、いつも同じように穏やかで活力にあふれ、理想を高く持って周りの方に優しく語りかける方でした。人の暮らしがよくなるように。医療の枠を越えて、発言をされる方でした。「あんな風に生きてみたい。」私が生まれたときにはもう定年の年であったろうおじいちゃんを見ながら、強く思いました。私ができる「よいこと」ってなんだろう。つづく。

♪「しごと」

おんなじ仕事をする仲間に
いろんな年の人がいるといい
できれば10代終わりから
90代までいたらすてきー

おんなじ仕事をしながらね
いろんな話しができたらいい
できればみんななかよしで
時代の流れを楽しみながら

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