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くちびるにはなうた

2006年4月〜求人誌「週間FREE」誌上で連載中

毒も花もある日々のうた

これまでしてきた仕事や、今の仕事やくらしについて書いています

2006年9月3日

くちびるにはなうたーvol.19 「アニメーション 2」

こんにちは。大学を卒業してすぐに就職した会社は、楽譜や音楽教材ビデオを制作する会社でした。入社して2年目、ヤマハの教材で子供向けの音楽アニメーションビデオの制作が、初めて一から関わらせてもらった仕事でした。40分くらいのビデオを仕上げるまでに数ヶ月、アニメ作家は40代の女性でしたが、会うたびに疲れ顔になり、口数が減って短い言葉を鋭く発するようになっていきました。どんなストーリーだったかなあ、細かくは覚えていないけれど、森の仲間たちが紆余曲折を経て集まって音楽を奏でる、というような内容でした。セル画の撮影、声の録音には立ち会えなかったのですが、私がスタジオで見学(仕事で行っていたわりに何の役にも立てなかったので見学者気分でした。みんなの食べ物、飲み物の世話が主な仕事)していてもっとも楽しかったのがキャラクターの動きや絵の流れに沿って効果音を入れていくところです。デジタル機材と、楽器なども少し持ち合わせた効果音やさんが来て、リアルタイムで画像を見ながら音を選び録音していくのです。すごい手際!!それで映像が本当のシーンになっていくのを見て、ジャンプしたくなるくらい感動していました。・・・まだつづく。

♪「動くおと」

ふうりん
鳴ったら
蝉のハネ

ふりむく
あのひと
本当はね

きもちの
うらがわ
動くおと

2006年 9月9日 

くちびるにはなうたーvol.20  「アニメーション 3」

二十代のときに、二つの会社に勤めました。一つ目の会社で、初めて一から関わった仕事は、ヤマハ音楽教室の子供向けビデオ制作。アニメーションの作り方なんて何も知らないで、制作過程を見守る日々でした。一番長く感じたのは編集期。映像と声を録り終えたあと、それを切ったりつなげたりしていく作業です。一日12時間以上スタジオにいて、何日経ったか分かりませんでした。お昼ご飯と夕飯にはみんなに出前のリクエストを聞いて注文、トラブルがあれば会社と連絡を取り解決をする。具体的に私にできたことはそれくらいでした。いっそのこと自分で料理を作って出せたらどんなにいいだろうと考えたりしていました。暇をもてあまして、見守りをさぼり、他の編集ルームを見ると!岩井俊二監督が一人、一畳くらいのスペースの編集室で画面と向き合って作業していました。「四月物語」を作っていた頃です。松たか子さんのいろいろな映像を延々と観ていましたから。「よほど好きな女優とじゃないと作れないなあ・・・」なんて勝手に悟りながら、スタジオを徘徊していました。ビデオが出来上がるまでにはもう少し時間がかかります。つづく。

♪「夏やすみ」

昨日と今日は
おんなじに
こんなに晴れて
蝉も鳴く

だけど今日から
休みじゃない

終わった宿題
みせるんだ

2006年 9月13日 

くちびるにはなうたーvol.21  「アニメーション 4 完成」

大学を卒業して就職した楽譜や音楽教材の制作会社で、初めて一から関わった仕事は、ヤマハ音楽教室の教材ビデオでした。子供向けのアニメーションで、ディズニー映画のように音楽とリンクさせて伝える、と大きな目標はあるものの、ディズニーのような作品を作るのは大変なこと。それでも出来上がっていくにつれて、キャラクターに命が吹き込まれ、場面に時間の流れが生まれていく。その瞬間はいつも、画像に声や音が吹き込まれる時でした。アニメーションが本当のシーンになっていくには、音が必要なんだ。このことを目の当たりにして、単純に音に感謝、と感動をしていました。何も分からずに手探りで始めたアニメーションづくりで、私はその過程を見守っているだけだったけれど、出来上がったビデオがとても大切なものに思えて、家族や親戚の子供たちに見てもらったものでした。今思えば、アニメーションが出来上がっていく過程はとてもドラマティックで、歩みが少しずつで、ものを作る醍醐味を味わえる作業です。それで私は何か作りたい、と中毒のようにいつも思うようになっていくのですが、このあとの仕事で大きな苦戦を体験することになります。

♪「一番好き!」
桃ってだいすき
いちばんすき!
こんなにおいは
他にないでしょう?

梨ってだいすき
いちばんすき!
このはごたえは
たまらないでしょう?

季節が変われば
変わるもの
そういうものが
あってい

2006年 9月16日 

くちびるにはなうたーvol.22  「鳴瀬喜博のベース講座−1」

22歳から25歳までの3年間、音楽教材を制作する会社に勤めていました。後半の1年半は、鳴瀬喜博さんというベース奏者の教材を作っていました。カシオペアというフュージョングループで演奏していたベーシストです。教本が6冊、CDが4枚、ビデオ1本という豪華セットの通信販売用で、数年前に作ったものの改訂版を作るということでした。この仕事は長かった。前回までお話ししていた40分間のヤマハ音楽教室の教材ビデオで、すっかりものができあがっていくことに楽しみを覚え、スタジオでの作業をしたいと新米ながら要望を出したところ、もらった仕事でした。改訂版とはいえ、鳴瀬さんのこだわりでほとんどを作り直しました。練習して欲しいフレーズなどの楽譜を丁寧に書き直し、それに合わせて音を録り直しました。短いフレーズを続けて弾いていく鳴瀬さんの音を聞きながら、楽譜とにらめっこ。ベースラインって音楽をつくるもとになるんだなあ、と少しぼーっとしてしまうと見失ってしまう。それでも、ヤマハビデオづくりの時には何も具体的な作業ができなかった私が、少しものを作ることに関わることができている、と嬉しかったものでした。喜んでいるのも束の間、スタジオ作業で疲れ果てていく日は遠くないのです。つづく。

♪「変わり目」

夏のおわり
秋のはじめ

魚のしっぽ
珊瑚の先頭

雲の切れ間
太陽の輪郭

視線の先に
もっと先に

2006年 9月24日 

くちびるにはなうたーvol.22  「鳴瀬喜博のベース講座−2」

22歳から25歳までの3年間、音楽教材を制作する会社に勤めていました。後半の1年半は、鳴瀬喜博さんというベース奏者の教材を作っていました。カシオペアというフュージョングループで演奏していたベーシストです。教本が6冊、CDが4枚、ビデオ1本という豪華セットの通信販売用で、数年前に作ったものの改訂版を作るということでした。この仕事のエピソードを話せばきりがないのですが、1年半を通して仕事を引っ張っていたものは、鳴瀬さんのこだわりとユーモア。教材を買った人に練習して欲しいベースラインの楽譜の隅々、ベース演奏や音楽についての文章を、何度も練り直しました。以前つくった教本をコピーして、直したい箇所を手書きで書き入れていくという方法で進めましたが、「原稿取りに来てー」と言われ出来上がったものを受け取ると、「全部書き直した方が早いんじゃ・・・?」と言えない言葉がいつも頭に浮かびました。鉛筆書きの書き入れで、真っ黒だったのです。踊るような文字。そして鳴瀬さんはいつ会っても元気で、ギャグを連発するのでした。一人芝居やアクションを交えて人を笑わせるのが何よりも好きなように見えました(ベースを弾く方が好きでしょうが)。死ぬほど笑うという経験を何度したことか。つづく。

♪「秋風」
まだいいよ

なつがすき

もういいよ

あきがすき

あっちから
こっちから
ひかれたり
おされたり

 

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