くちびるにはなうた
2006年4月〜求人誌「週間FREE」誌上で連載中
毒も花もある日々のうた
これまでしてきた仕事や、今の仕事やくらしについて書いています
2006年11月4日
くちびるにはなうたーvol.29 「転職活動」 |
25歳の時、大学を卒業してすぐに就職した楽譜の出版社を辞めました。次の仕事は何をしよう?3ヶ月間考えて出た答えは「医療に関する出版社」。一つ目の会社で編集作業を一通り身に付けさせてもらいましたが、医療に関する知識は当然ながら皆無。医学も何も、音楽以外を熱心に勉強した記憶がありませんでした。それでも、医療。なぜか?これは今でも疑問なのですが、まずは音楽以外のことで社会を覗いてみたいという気持ちがあったこと、そして、少しでも医療にまつわることを知らなければ、人生を豊かに送ることができない、という直感でした。この時点で私はまだ、人の役に立ちたいなんてこれっぽっちも考えていませんでした。「編集作業ができて、医療の知識はなくても雇ってくれる医療系出版社」「給与は20万円以上」これが25歳のハローワークで私がパソコン検索に入れたキーワード、そして検索→電話交渉→面接に行かせてくれた会社が三つも!→正直言って驚きました。良く言えば好奇心、率直に言えば興味本位での転職願望に向き合ってくれた小さめの出版社の社長さんたちはしかし、みんな面接でちゃんと私の話を聞いてくれたのです。数週間後には赤坂のオフィスに通いはじめていました。オタマジャクシとばかりにらめっこしていた私が、医療の単語と向き合いはじめたのです。つづく。 ♪「秋」 ブランコがゆれる おんなの子が走る ペダルをこぐ足に |
2006年 11月16日
くちびるにはなうたーvol.30 「医療誌づくり」 | ||||
26歳で二社目の会社に就職しました。アルバイトをしながら自分の音楽に向き合う、という選択肢はありませんでした。まずは就職をするなら東京で一人暮らしをしてもいいという両親からの条件があったこと。そして一人暮らしするために必要な手取り月20万円くらいを稼ぐには、アルバイトでも週5日1日8時間くらいは働かなくちゃいけないだろうと考えたからです。正社員なら年金や保健もカバーしてくれます。そんなわけで、音符ばかりを熱心に読んできた私が、文字ばかりを相手にする生活が始まりました。主に製薬会社をスポンサーとして、医療に関する情報を医師に読んでもらうために冊子にする仕事でした。先輩の手伝いをしながら作り方を教えてもらった1年間は、内科、アレルギー科、眼科の論文をまとめていました。ある病気に関して研究している人が、成果を論文にして専門誌に掲載する。そんなことも初めて知ることで、好奇心にかられ、分からない用語を調べながら夢中で読んだものでした。 ♪「からだ」 じぶんのものだけど 息をする じぶんのことだけど どこでなにが 2006年 11月18日
2006年 11月24日
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